2/15 衝撃の体験

2017.02.15
竹馬の友良いことから悪いことまで、すべて教えられ学んだ1歳年上、親しかった友が帰らぬ人になり、82歳は男性の平均寿命過ぎたので、仕方ないことではあるが前日の夜、気分転換で1泊が外泊許可され我家に帰った、本人から電話あり入院先病院を教えられ、場所確認したので面会14時からと聞き、見舞いに参上すると約束したのが最後になってしまった。

当日14時過ぎ教えられた病院訪問、面会求めると受付嬢から親族の方ですか?の質問あり、友から身内でないと面会できないからと聞かされてたが、ウソも方便とは思うが何故かありのまま、子供の頃から兄弟同様の付き合いの間柄と伝えると、少々お待ち下さいと上司に伺い了解得たようで、患者の名前聞かれ病室番号も併せ伝えるも、入院してませんと云われ、昨夜本人からの電話で確認したのよと、更に加えるとキーボード叩き患者名打ち込むも答えは変わらず。狐に包まれるような気持ちで病院を後にした。

自宅に戻り机上に置きっ放しの携帯から、彼の嫁さんに電話するも応答無し、実は更に前日に嫁さんから聞いた病院へ、向かったが教えられたのは近くの別の病院、入院患者に該当者無しで?確認しようと、自宅からコールするも留守で通話出来ず、そのまま放置し今回の経過に引き続いたわけ。

嫁さんとは互いに勘違い病院を確認したが、次は互いに市内在住80年を越え、場所確認はツーカーのなか間違うはず無いが、更に確認とPCマップ拡大し調べると、何やら道路直ぐ先にも病院あるを知り、ミニベロ自走して坂道上ってその病院へ向かうと、うちは入院患者は居りません、一本先の道路にある病院の間違いでしょうと言われ、一本先の病院は先日確認済みだけど、そうですかお手間を取らしてすいませんと我家へ引返した。

再度嫁さんに電話すると亡くなったと聞かされ唖然、水飲んでも吐いてしまうのに昨日、牡蠣2粒を美味いなと食べたと聞かされ嬉しかった、夜半になって苦しみだし、急遽病院に搬送注射で安静になったので、嫁さん自宅に戻った後に急変したらしい。彼が賄いすべて担当してたので、仲良し嫁さんを食べ物を自分で作れない、ガスレンジも満足に扱えず、即席麺ばかり食べてるとしきりに心配してた、いずれ年老いれば誰しも命尽きるのは、きわめて当たり前のことだが悲しい、昨年暮れに街中の食堂で会食、カキフライを美味いなと食べ、肝臓がん放置したら転移、近々再検査あるが末期を自認、手術はしないと言ってた、前夜の電話のお喋りが最後になった、楽しかった昔をあれこれ思い出すよ、ター坊有難うな。

戦中戦後の成長期だった子供の頃、食べる物が無くひもじい思いをしてた時代、少しの物でも分けて食べた俺達の仲、ある時川遊びの帰り道のこと、腹へって道端に座り込みポケットから出てきた、たった1粒の南京豆を半分に割って食べ合ったこと、思い出され無性に悲しくなり涙が堪えられなかった。

胸ポケットに神さん1枚と俺っち2枚の札と、生誕葬のパンフ入れた封筒あり、生きてるうちに本人に上げるのがベストよと神に言われ用意してたのに、直接手渡せなかったのが悔やまれる。俺っちもいずれ迎える日が来るが、それまで遊び呆けるつもりでいる、自分の終焉は自分自身で確定できると確信してる、俺っちの場合まだ々ずっと先のこと、俺には大事な神が居るからな。
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