4/27 訃報の確認 合掌。

2011.04.27
錯綜した消息確認だったがたったつい先ほど、岩手県警発表の遭難者名簿上で輪友の名前を確認してしまった。
災害後の消息情報すべて耳にしたものばかり、我が目で確認せねば納得できないと、発表される避難、遭難者名簿の確認続行していたら、ついに最悪の結果を目にしてしまった、嗚呼。

簡単に逃げる男ではないと思っていたので、ダメだったかもとは思いながらも何とか無事でと祈っていたのだが…溜息つきながら在りし日の雄姿を思い浮かべ、『上』お前は俺っち心の中で生きてるぞと涙した。

初めてあんたを知ったのは30年ぐらい以前の遠い昔だったな、『東北GP』のロードレース会場だったよなあ、単身で初めて向かった東北新幹線『江刺水沢』駅から会場に向かいレースに参加、同時スタートした各クラス混在で走る先頭集団、道中仕切っていたボスがシニアクラスの大男あんただった、単身遠征で大会情報に全く知らない俺っち標的にされ、ゴール前の直線走路になって集団から飛び出した君の後方、路肩から瞬時飛びついた曲者が俺っちだったのよ。

フィニッシュ直前勝利確信した君は1/4輪差し込まれ愕然としたと思う、レース終了後俺っちに声えかけてくれそれが親友になったきっかけ『仙北地方で負けたこと無かった』と言われたとき、勝つんじゃなかったって後ろめたい気持ちになっけど、考えると俺っち勝ったことから交友関係が生まれたのよな、三陸気仙ロードレース誕生につながって、君の家に泊まったこともあったし俺っち家にも来てくれたわな。

『TEAM TAKATA』のチームリーダーで、たくさんの仲間と遠路『日刊GP西湖ロードレース』その他、俺っち仕切ってた多くの大会に顔見せてくれ『ありがとう』、地域振興に尽力した君の功績は地元で語り継がれると思う。残念でならないがどうにもならない、安らかに眠って下さいとしか言えないのが無念。

親族と連絡が取れるようなったら墓前に走ってゆくからな。

東日本大震災が発生しなければこの夏、九州から北海道まで太平洋沿岸北上するサイクリング計画中だったので、久しぶり君に会えると思い楽しみにしてた矢先だったのに…無常よな

『上』俺っちこれからはお前の分も合わせ、命尽きるまで走り続けるから天から応援してや。
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4/13 陸前高田市へ義捐金を送金。

2011.04.15
俺っちの守護神家の神さま100万円東日本大震災義捐金として支援すると聞き、俺っち会社も何とかせねばと思うも、売上低迷している最近の経理では100万円捻出は大変、来期終了次第次世代に代表権を引継がせる予定なので、赤字決算での譲渡は論外と考えると経費節約せねば現況では捻出できない。

電車内の広告も激減していることからも分かるが、経営者の誰でも考える最も簡単な手段は広告宣伝費の節約、で当社もサイクルスポーツ紙面広告を本年中停止し約90万円、地下鉄外苑前駅ホームの電飾広告料金を10万円値引き要求させ、100万円を捻出して神さま分とあわせ200万円を義捐金として送ることに決めた。

送金先は最初から陸前高田市に限定し、岩手県庁に問い合わせた結果12日に返事が届き、教えられた陸前高田市災害対策本部の口座、岩手銀行高田支店に13日当社口座から100万円、俺っち個人口座(神の金)から同じく100万円を送金した。市役所は津波災害受け機能してない様子で連絡取れないが、口座に送金されたことをWEB上で確認した。高田市民の皆さんの元気回復を切望しております。

なぜに陸前高田市に限定したかというと、1985年から2005年まで20年間南三陸サイクルロード「りくぜんたかた」の呼称で、一部二桁国道を走行する自転車ロードレース開催を続け、遠く関東地方のサイクリストが大挙して参加、我がクラブ員も多数楽しませて頂き、俺っち自身も役員として参加し、地域住民と親しく交流慣れ親しんだ土地でもあり、住民皆さんへの感謝の気持ち。

何も起こらなかったらこの夏は、大分県から北海道に至る太平洋沿岸北上のツアーで、津波災害受けた海岸線すべて走るコースだった、もしも、走ってる時だったらと考えると他人事ではない。

陸前高田市の同業ロードレース開催の発起人でもある俺っち輪友、災害初期に都内の輪友から無事だって、と知らせ受けるもその後WEBで避難者名簿、遭難者名簿確認するも消息不透明なのも気懸かり、俺っちの義捐金は別途彼に手渡すつもりでいる、元気でがんばってや。
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要らねえ、要らねえ、欲しくねえ

2011.04.12
一難去ってまた一難で原子力発電所事故状況、収拾つかない状態になっている様子、津波の被害よりも深刻な様相を呈し、ついに最悪状況のレベル7になってしまった。戦争で被爆した地球上唯一の民族が、今度は原子力の平和利用で被曝してたらしゃれにもならん。原発神話は商業主義優先の社会、地震列島では成立するはずもない、この先再臨界迎えたら収拾もつかん、狭い国土に住み場所無くし大和民族終焉だ。それにしても、天災より人災が怖いとは夢にも思わなかったな。

ロックの神様清志郎が天から眺め、だから俺が言っただろうって叫んでるような気がする。原発の危険性を見抜き警告した曲、サマータイム・ブルース生きていて欲しかった、そして、も一度あの歌声をいま耳にしたかったなあ。

千駄ヶ谷のビルに神宮店開店した初期、自転車組んで欲しいって『ゼウス』のフレーム担いできた静かな小男、組み立て得意でない俺っちが組み上げると、数日後数人で取りに来て仕事でハワイに持ち込み、走ると言ったんで俺っちが何の仕事してるの?って聞いたら、音楽関係って小さな声で答えたのに、和製ロックが好きでRCのカセットテープ持ってたのに、うかつにもあんたと気づかなかった。俺っち店の上3階にあんたの事務所があり、俺っち姪っ子が日野高で同級生だったってことも後日知ったのよ。

その後レーザーディスクで発売された数枚のアルバム、いまは石和のクラブハウスにあるはず、メークすると別人のあんたが歌う歌詞を今度じっくり楽しむわ。今回の原発事故であんたが再認識されると思う、天国の清志郎に最大限の敬意を表したいっす。
記事URL | 日記 | トラックバック(0) | コメント(-) | 【21:57】

4/9 石和から帰る。 4/10のクラブラン。

2011.04.10
朝6時起床早いねぇたって安眠できないのよ、一晩中花粉攻撃受け鼻がつまって、喉がらがら眠ってられんわ、目覚めたら目が痒くなるし、外は雨降りでもう最悪。使ったシーツやパジャマ類洗濯したら、コインランドリーに持ち込み素早く乾燥、るんるん自走で帰宅する予定が雨でおじゃん、仕方ないので洗濯物部屋中に吊るしまくって自然乾燥じゃ。

さてどう帰るか思案も空眺める、雨上がりそうな気配あり暫らく待つた11時、近くのコンビニで購入した飲食物容器を元へ戻して走る、とすぐポツポツ降り出しこりやダメと輪行に変更、石和温泉駅へ直行し得意の3分間輪行で11時35分発特急『甲斐路』乗車、特急券のみ八王子駅まで購入¥900切符はスイカでスルー。外眺め雨止み大月駅で途中下車も路面はびっしょりに、特急連絡で停車中の高尾行き各駅停車に乗換え輪行の続き、三つ目停車の梁川駅で再下車、道路乾いているのでここから念願の自走。

簡単輪行術会得すると輪行が苦にならず活用でき便利、梁川からの国道20号は下り勾配で四方津、上野原で坂上って下って、藤野まで同じく繰り返し『与兵衛』で昼食トロそば食べ、大垂水峠ごくゆっくり上り3時前に帰宅。

一晩自宅で安眠した翌朝の今朝は7時起床、8時半出発クラブラン集合地立川CSへ、行き先巾着田から鎌北湖のリクエストあり、雛鶴変更そちらへ向かう最後尾から走る隊列眺める。当然の事が全くできてない集団走行眺め唖然とした。これじゃ次回から先導はお任せし、後尾から眺め走り方指導の必要ありと痛感。

鎌北から顔降峠越えの坂上りで足使ったので、家に帰ったら疲れて眠くなりマッサージ椅子で仮眠したら元気回復。腰が痛いと言いながらも、かまわず足腰使っていると次第に治ってしまう、腰痛治すに医者は役立たん。薬飲まなければ自然治癒力が治してくれる。薬は毒にもなるこわいものと認識することだな。

記事URL | 日記 | トラックバック(0) | コメント(-) | 【22:03】

4/8 石和クラブハウスに泊まる。

2011.04.09
石和CH滞在二日目、めちゃきれいに整理整頓された部屋に感動、俺っち泊まったら散らかして帰ったでは申し訳ないと、不慣れな掃除に洗濯、草木には散水とらしからぬ大活躍?ミニベロで遠回り甲府まで買い物ついでに、ふと響で『そば』食べようと竜王へ向かい、屋号変えたのか店舗造作が少し違うなと戸を開けるを躊躇すると、突然どうぞと店主に手動ドアで迎えられ店内へ、店主も違うが仕方なく注文よ、一度注文した『納豆そば』を変更『鳥もつ煮』、『もつ煮』だけでよろしいですか『そば』は要らないですかの声、そば打ちの仕事場目に入り、もしかして『そば』に自信あんのかにゃあと思うも、自分で店間違えた腹いせから無愛想にも『いらない』だと、甲斐名物まあまあ美味しく食べられた変な昼食¥650。

本屋、電気屋あちこち引っかかってたら、強風吹き荒れ駐輪場の自転車横倒し、空模様おかしくなり大変洗濯物が濡れちゃうと、近道せにゃあと走った方向悪く川原の土手に突き当たり、上流下流共に橋は遥か彼方じゃん、近道のはずが遠回り大汗かいてハウスの戻ると、洗濯物は風に飛ばされ庭中まき散らかり拾い集めるも、も一度洗うは面倒どうせ俺っち私物だい、気にすることないと叩いてふるって出来上がり。

晩方7時から隣組の親睦会、夕食食べながら新旧組長の引継ぎ等、夫婦で参加する家庭多く子供連れもありで世代が若い、地域でまとまることは大変結構なこと、不在家屋で肩身狭いが町内発展のためには全面協力したい。静かな環境での二泊目は花粉もろにかぶった状態で寝苦しく参ったな、大掃除で浴びたのかと思う。
記事URL | 日記 | トラックバック(0) | コメント(-) | 【22:26】

4/7 石和クラブハウスへ。

2011.04.07
明晩町内会があるので久方ぶりに石和クラブハウスに二泊三日予定で出かけた。最初の予定では9時に家を出る予定だったが、あれこれ用事を片付けていたら意外に時間費やし、家出たのが11時過ぎと遅くなり、どうせなら来月のイベント春ロングD班想定した試走で走った。

多摩御陵前信号で時計眺めスタート、本番は雛鶴まんじゅう屋までノンストップだが、大垂水峠下ると尿意に小原郷でトイレ小休止、新吉野橋渡り坂上って日連の分岐でちょうど1時間、リニア新幹線工事で行き交うダンプ多し、まんじゅう屋到着は約1時間後。先週のまんじゅう46ケ分代金¥6900、経費ではなく俺っち国民年金処理だから、さいずめ年金饅頭だな。

ダンプ街道になって路面荒れ、土ぼこり舞いその昔未舗装時代思い起こす、雛鶴峠を越え禾生でおにぎり2ケ、味噌汁つきで食べ小休止。都留のガード付近で道路工事中、その先大幡峠に向かう細道、見違えるような広い直線路バイパスが完成、大幡峠下って初狩で更に1時間。まんじゅう屋、おにぎり屋と連続休憩し初狩に下ったら3時前、迷うことなく初狩駅から輪行は甲斐大和駅まで、笹子のトンネルを電車で越え、甲斐大和駅(元初鹿野駅)からは下り勾配いっき、勝沼バイパスも楽走で石和温泉、甲府市内で用足し後石和クラブハウスへ。

きれいに片付けられた家の中、庭も青が先日草刈したとかできれいなもの、風呂場も超きれいだったので入浴後、湯を抜きながら俺っちも風呂掃除しちゃった。ネットに接続できないPC試行錯誤で修復なり、ブログ書いていたらまたまた結構大きな地震じゃん、どうなってるの日本列島。
記事URL | 日記 | トラックバック(0) | コメント(-) | 【23:59】
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