3/29 帰京、羽田から自走で帰宅。

2011.03.30
東京に戻る日が皮肉にも滞在中最も良い天気とはなあ、東北地方が大災害で疲弊してる時に遊んでるから罰当たったって、けどな被害受けなかった者までがいつまでも落ち込んで居ってどうする、日本経済停滞破滅しちまうわ。戦争で完膚なきまでも叩き潰されても、見事再起した親達皆が持っていた大和魂忘れるなかれ。

俺っち少年期は戦中、戦後の動乱期を生き神を娶り娘二人を育てあげ、後期高齢者となっちまった今では、もう俺たち後期高齢者の出番じゃなかろう、ここは次世代任せ叱咤激励するだけじゃ。

会社や個人が義捐金やらボランティアで積極支援してるが、宗教団体は静かなものですなあ、子供手当てがどうのこうの言ってるようけど、宗教法人を会社並みに課税すればよい。神を宗教に求めても無駄、本当の神は自らの心の中に存在する事に気づけよ。無理なのかなぁ年輪を重ねないと…

沖縄滞在中ずっと入れ歯が当たって歯茎が痛み往生、帰宅翌日歯医者にSOS、名医がちょこっと調整してくれたら、煎餅バリバリ沢庵ぼりぼり痛み霧散、沖縄に着いたら痛くなったってどういうことだ。爺さんの心がけが悪いから、おおそうかもな、悪餓鬼が好々爺になれるわけないわな。

那覇空港ANA便→羽田空港=京急大鳥居駅(輪行) 環八~世田谷通り~多摩川沿道~北野街道~自宅54km。
6日間で630km走ったので、月間1000kmの3月走行目標はクリアできた。老人には毎日の積み重ねが如何に大切か痛感させられた旅だった、来月は花粉症も楽になるので内地で達成させたいな。
スポンサーサイト
記事URL | 日記 | トラックバック(0) | コメント(-) | 【21:57】

3/27 沖縄滞在最終日 報告。

2011.03.28
前日夕食お呼ばれで遅くなり、帰館後ブログ更新などで就寝遅く、早朝6時過ぎ目覚めたが眠気残り走るは無理、窓下の国道58号眺め、次回のリベンジとし今回は断念再度寝床へ倒れこむ。

熟睡目覚めたのは9時前、昨夜遅かったのでマッサージに行けず、疲労回復できてないので宜野湾の天然温泉アロマでのんびりすることに決め、僅か十数キロ先までの走りなので、着替えは必要なしと街乗りスタイルポタリング。国道58号線牧港信号で左折バイパス走り、終演した国際映画祭会場コンベンションセンター前を通って天然温泉へ。

沖縄で温泉は希少価値のようだが入場料¥1500は、施設から考えると高すぎると思う、小さな内湯幾つかと露天風呂が一つだけではナイチャーにはぼったくりよ、昼前に入館し露天風呂楽しんでのち、昼飯「そーきそば」にがっかり、新聞雑誌類を読みマッサージ受けリラックス、休息室で眠るご老体の仲間入り、大型テレビ眺め夕方までのんびり過ごした。これまで沖縄に数知れず滞在も、こんな風な楽しみ方したのは初めてだがもしかしたら老化かな。

風呂で計量56.5kg少し痩せたのは、走りもだけどほぼ毎食「そーきそば」か「野菜そば」だけ、ホテルの握り寿司も好物でこれが握り小さくごはん量少なく、間食せず小食が原因かも俺っち的にはあと少し減量がベスト、帰宅すると料理の神様がなあ、美味しいもの食べさせてくれるのでイノシシが豚に変身が常。

5時前ホテルに戻り明日帰るのでズボンだけ手洗し表に出られず失敗、ジャージにタイツ姿で晩飯食べに徒歩ではなあ、ルームサービスで海鮮丼注文、最近の沖縄の米飯はうまい。本日ポタリングなのでメーター装着なし、家を出てから570km走ったので、明日羽田→自宅を走って620km越えになり目標はクリア。
記事URL | 日記 | トラックバック(0) | コメント(-) | 【22:29】

3/27 沖縄滞在3日目報告。

2011.03.28
辺土岬まで行くには6時にホテルを出れば余裕、6時には目覚めていたが表は暗く断念するも、半頃になると空が明るくなり、結局出発は定時の7時になっちまった。7時発では初日と同じ走りでは大宜味村津波まで、辺土岬は更に30km以上先で行けるわけないと思ったが、努力目標に走ってみる事にした。

最初に考えたのはトイレの回数を減らそう、そのやめには下腹を冷やさぬ工夫でショーツの着用、確かに尿意減少名護まで2回ですんだが問題発生。アソスの肌にやさしいパットと違い、下ばきの化繊ショーツ編み目が肌に当たり尻が痛くなり、2度目のトイレでひと気ないを幸い忍者変身。

休憩無しノンストップで走るには、まずは腹ごしらえと前夜用意のおにぎり1ケにバナナ1本、温かい紅茶1カップこれで大丈夫と思ったが、LSDではなくペース上げたこともあり、空腹に持たず「国頭村道の駅」でピットイン。食堂は準備中で売店のサターアンダーギーとドーナッツ購入、自販機ホット紅茶でお腹に流し込み時計眺め、正午まで25分あるので再走し与那先の佐手で時間になり折り返す。往路メーター計測は105km AVR23.6km/hだった。

日曜と言うのに走ってる人が少ない感じだったが、大宜味村手前で反対車線を走るイケハラグループ目撃、昼前の時間に帰りということは早い出発だったろうに、昔の沖縄時間のルーズクラブから脱皮、列車編成も決まっていて成長した印象受けた。この調子でがんばれや。

帰り道はどこで「そーきそば」食べるかを楽しみにまずは名護の宮里、昼食時過ぎた1時半なのに今日も客いっぱいでパス。丸隆は反対車線なのでパス、選んだのはなかま食堂の「そーきそば」そばとは別皿で出された大きなそーきにはびっくり、ソーキの入ったそばが食べたかったので失敗だった、山田の水車屋で食べたかったが残念空腹我慢できなかったよ。4時半帰着。

走行距離210km 走行時間8時間24分 アベレージ24・9km 
記事URL | 日記 | トラックバック(0) | コメント(-) | 【00:13】

沖縄滞在前半2日間報告。

2011.03.26
3月25 (金) 曇り
ホテルの朝食7時からで7時出発では食べる時間なし、裏の駐車場で自転車組み立て、不要な物すべてナップザックに入れ背負い、今晩から4泊連泊する58号沿いのホテルへ向かい、荷物を預けそのまま走り出す。

思いつきで今回5泊6日する中4日間の毎日、往路は国道58号線をLSDで北上、正午になった場所から戻ることにし、復路はアップスピードで走って、最終目標を辺土岬往復、毎日の出発は7時予定も体調次第、出発時間は無理せず目覚めた時間と決めた。

計画初日走りだすやすぐ寒いなあ!レインコート羽織ろうかと思う寒さ、3月も末近くでこの寒さ日本列島冷え切ってるな。寒いのでやたら尿意に名護までに途中4回も立ち寄り、11時から営業中食事処探しの走りとなるも見当たらず名護市内抜けてしまう、その先店などなさそうで大宜味村道の駅を想定で走り、直前で食堂ピットインそーき無く野菜そば。遅い朝食ゆっくり食べ店を出ると正午で戻り、帰りは向かい風で難儀した往路の逆、快走と言いたいが爺さん走り、まあまあ楽にペダルが回せた程度で帰着。

走行162km 走行時間6時間44分 アベレージ24km

3月26日 (土) 曇り
2日目。一度5時半目覚めるもとてもそのまま起きる気力なく、そのまま二度寝7時過ぎ起床となり出発8時で昨日より1時間遅れ、本日も寒く昨日に続き今日も小便道中かと思ったが多少ましだった。何よりも昨日と大違いは、牛乳500CC とクラッカーと紅茶でお腹の中が空ではなかった。

俺っちLSDは25km程度の走り、遅いのでリック背負った外人2人に喜名番所すぎ追い抜かれる、信号無視した2人に一時大きく差をつけられるも、長い坂下った山田で信号待ちの彼らに追いつき、仲泊でショートカット前に出てそのまま、お菓子御殿でトイレくるみ餅とココアで小休止。

名護市伊差川西信号で正午折り返し、宮里そば屋昼時で超満員にあきらめ、途中で食べたそーきそばの不味かったこと、腹膨れていたが再度山田の坂途中にあるそば屋で食べ直し、あいにくそーきそば完売で野菜そばを食べたがこれは美味かったあ。

4時ホテル帰着。風呂に入り紅茶飲みテレビ眺めていたら眠くなりひと眠り、7時すぎ目が覚めすっきり昨日より疲労感なし。ブログアップし階下の食事処で夕食食べマッサージ院へ行くつもり。

走行141km 走行時間6時間3分 アベレージ23.3km
記事URL | 日記 | トラックバック(0) | コメント(-) | 【21:10】

花粉症に耐えられず沖縄逃避行。

2011.03.25
3月24日自走で羽田空港へ向かった、背中の荷物を最小限にまとめるため、薄手下着3枚着こみ長袖ジャージ、更に薄手ジャンバー、下半身はアソスニッカの上に薄手のズボン、つまり持参するすべての衣類を着てしまったわけで、こんなスタイルで速く走れるわけなく、途中用事あり寄り道することもあって、余裕みてフライト5時間も前の10時半家を出た。

調布過ぎ多摩川土手通りから狛江に向かい、世田谷通りを喜多見、大蔵と走って環八へ出て羽田に向かった。この道は千駄ヶ谷店オープン頃、世田谷道路はその昔俺っち出勤ルートだったので、走りなれた道路狛江駅前以外昔とさして変わららず。超ゆっくり走っても時間余りすぎ、いつもの京急「大鳥居」からの輪行を変更し、空港までそのまま直進して空港敷地内に入り込むも、第2ターミナルまでは徒歩、自転車ともに通行禁止で行けないじゃん、道路戻り空港外へでて直近にある「京急天空橋駅」からひと駅輪行、降車後間違えてJALカウンターに向かうドジふみ、連絡通路延々ANAカウンターまで戻る破目になるも、転がし輪行は苦もなし便利なもんよ、余裕の時間が幸いし慌てることもなくチェックイン。

空港到着18時半薄暗い寒い、マッサージに予約モノレール途中下車で治療受け、ライト持参なので自転車組み立て安里の宿まで自走、ホテル前で再度輪行袋に収納室内持ち込み。組み立て、解体ともに3分間で出来る俺っち式、これを広め多くのサイクリストに自転車輪行の楽しさを伝えたいと思っている。

今年4回目の航空機の旅、今回はANA那覇空港は手渡しでした、荷物預けも羽田の場合そのままカウンター受付で済み、ANAはサイクリストの心を読んでる感じ、輪行はANAに限るようだ。

記事:花粉症に耐えられず沖縄逃避行。の続きを読む

記事URL | 日記 | トラックバック(0) | コメント(-) | 【21:50】

災害は戦災に及ばず。

2011.03.22
災害映像一色で埋まっていたテレビも、ようやく通常番組があたりの気配さぐりながらアップされだした。被害地に食料が届き暖かいものを食べ、米軍機で自国の救援物資運び込み被災地に届ける米兵士、感動の映像のはずが涙とどめなく流れる始末、焼け野原に生活する罹災者狙って戦闘機で銃撃してきたのが彼らの親世代、俺っち餓鬼の頃体験した戦争は狂気の沙汰、平和は素晴らしい復興なんか簡単だぞ、絶望の敗戦から復興した侍日本、がんばれなくてどうする、ご先祖様に顔向けもできない。

戦災はもっと過酷だった食べ物もなく椀や箸も無く、空き缶で雑炊すすったなあ、産めや増やせや政策でどこの家庭も子沢山、親達は子供たちに食べさせるのに苦労したはず、明治男子は凄かったなあ。亡くしてから気づく愚か者で恥ずかしいが、心の中で親父は生きているだけでなく、今でも親父に守られているわと感謝している。親父許してな。

第5福竜丸が米国の核実験で被爆して以降、マグロの放射能汚染が確認され多くが廃棄されると、市場に出荷されたマグロまでも、人は同じものと思って購買せず、売れないので相場下がって安値販売、マグロ大好物の親父は大喜びで食べまくっていたぜ、大酒飲みで呑み友達は次々他界するのに、95歳の天寿をまっとうし数年前あの世に旅たった。

俺っちとは若年の頃よく意見の衝突したが俺っちを認めてくれていたのは、空襲時も手元に残されのは、死なばもろ共と考えてのことで、戦火の中をくぐったことから特別扱いされたと認識している。俺っちが小学1年生の時、親父の実家の神奈川県山北町まで一人旅をさせたのも、”可愛い子供には旅をさせる”で鉄道少年俺っちが横浜線、小田急、御殿場線と乗りつぎ3時間半の旅、間違いなく行けると信じていたのだろう。

親父が鉄道員で機関区勤務の技工士、戦時中の少年期は蒸気機関士になるが夢だったのに、大人になると蒸気機関車は新しい動力電力にその座を追われ姿を消し、俺っち夢も儚く消え去り、電力ではなく人力で動かす自転車乗りになる、人生を送ることになった。
記事URL | 日記 | トラックバック(0) | コメント(-) | 【23:49】

3/21 雨で走れず考えたわい。

2011.03.21
3日連続のサイクルラン本日雨で走れず残念だった。初日歩くのに腰を抑えるほど大変だった腰痛、2日間自転車で50kmと65km走ったら、3日目の今日になったら嘘のように楽、痛みが全くなくなったわけではないが、階段の上り下り手すり持つことも無く、普通の足運びでOKじゃん回復の早さに感謝よ。

24日から29日まで沖縄に出かけ、少し距離走ってくる予定だったので安堵。ルフトハンザ航空はミュンヘン行を成田発から関空発に変更、放射能汚染に神経質になっているドイツ政府の事情を勘案、神さん達はドイツ旅行取止めにした。直前のキャンセルだったが、相手先の自己都合での離着陸空港変更した故か、キャンセル料金は発生しなかったという、まあ当然だよな。俺っち沖縄行の予定は日本国内移動なので変更なし。

昨日の事だが道路からモノレール駅へのエスカレーター、節電停止の立て札を芋窪街道走って目撃したが、最近何処の駅もエスカレーター、エレベーター、はては歩く歩道で乗客を運び、歩かせないでベルトコンベアーに乗せることを、サービスと考えておるようだが心得違いじゃ。歩くことが健康を維持する基本動作、人が歩かなくなると結果はどうなるか病院待合室へ行けば一目瞭然。

人間歩けなくなったら命運尽きたと覚悟せねばと思う、ベッドに寝たきりで生きながらえるは醜態、自分の健康は自分で管理が当然の義務、強食弱肉の自然界では歩けなくなった生物は生きてゆけないことを知り、英知ある人間は老後を考えたら歩け歩けの毎日と、休日はどんと遠乗りサイクリングで過ごせば老いても医療不要で過ごせる。
記事URL | 日記 | トラックバック(0) | コメント(-) | 【22:50】

3/21 彼岸の墓参り。

2011.03.21
昨日に続き本日も走った。2階から階段おりるに手すりにつかまりながら、腰痛堪えて下った昨日に比べ、本日は両足だけで無事1階へ到達、状況良しとにんまり。痛がって大事にし、動かないでいると回復遅くなる、いや老齢だとそのまま回復しなくなってしますかも、大変だわ心せんといかん。

行き先は彼岸なので青梅にある先祖の墓地、淺川の橋渡って常用してる目薬注文にスーパーへ立ち寄ると、物流停止で予約はすべて受け付けていませんと断られる、別に急がないよと伝えるもダメですと冷たい返事に店外へ。

楢原で右折工学院大、創価大前通過滝山街道は『吾平』で昼飯『もりそば』、庭先に止めた愛車眺める背中越しに『先日は皆さんでありがとうございます』女将の声に振り返り、『大変なことになってしまったね』と返す。昨日はやはりここも開店休業状態だったという、今日は朝からタンクローリが何台も通過、車が動き出したことでお客さんの来店あり助かります、日本だけでなく世界規模の大災害だからな。

加住小の方角に戻り高月の坂を上り下って、二宮、平井、瀬戸岡から再び滝山街道、万地トンネル、友田で吉野街道、長渕のコンビニでワンカップ買って背ポケに墓地公園到着。探せど先祖の墓見当たらず、娘にピポパと実母の墓地に墓参り中の神と二人してあやふやな説明、区画は間違ってないようで再度探すとあったぁ、墓石隠す多くの献花で刻印の家名見えなかった、親の墓もよう憶えてないのかと言われると返す言葉もないが、俺っち心の中に親は常駐しているわ。

遠回りして帰ろうで新青梅街道を芋窪街道まで直進し、モノレール下を立川に向かうと玉川上水駅の立体交差路、自転車進入禁止じゃん左折が悪く線路沿い踏み切り無く、やたら大きな施設の間を大迂回なんっじゃ宗教法人の用地、課税もされず優遇されてる諸悪の根源ここにあり、神は我が心の中にあるのじゃ、外に求めてどうなる。

自らの心の中に神が存在することに気づくと、宗教は無用の存在になる(ヒデ爺)
記事URL | 日記 | トラックバック(0) | コメント(-) | 【00:06】

3/19 2週間ぶり少し走る。

2011.03.19
一人で雛鶴へでも行ってみるかと十時過ぎ家を出る、いつもなら混み合う市内甲州道路もGSに並ぶ長い車列だけ、走行車線に車両少なく走りやすいが残念ながら走る脚力なし、考えれば5~6日の伊豆宇佐美往復ランから、レーサーに乗ること無くほぼ2週間のお休み。老体なので休み期間長くなると、運動能力極度に低下して30km/h維持はとても無理。

いつもの土曜日だったら超混雑してるはずの高尾山口駅前も人の気配なし、駐車場も開店休業の状態で係員で勤務する友の姿目に入るも、駐車してる車見当たらず、もしかして本日来客ゼロ?参道覗くもここも人影無く、これじゃ日本列島沈没しちゃうぜ。災害受けなかった地方の活性化が復興の鍵握ってるはず、列島全部が落ち込んでどうするのよ。元気出せよって言う俺っちも、腰は痛むは花粉症ひどいわで、どうもならないが苦しさ忘れ走る人。

普段だと多数目撃するはずのサイクリストもちらほら、遅いペースは山下大カーブで後方から相次ぎ2人に抜かれる、ラスト急速に失速した1人には頂上で追い付く、『雛鶴へ行くんですか』と声かけられ、『行かない』と返答、とても往復する体調でないと判断、相模湖駅前で昼食たべてのち鼠坂、三ケ木、津久井湖、二本松、相原、南野、片倉から緑町、山田と迂回して帰宅50km走行だった。

自転車から下りた途端強烈腰に痛み感じ、ジャージ脱ぎながらくしゃみ連発、シャワーで洗髪身体除洗したが、俺っちの被爆はスギ花粉なので気楽だが、原発事故の放射能汚染は大問題よな。

福島原発から250km以上はなれた我が家周辺は、現時点では全く問題ないが諸外国の受け留方は深刻、神が出かける予定のミュンヘン直行便、成田発から関空発にエアーポート変更されたが、ドイツ政府が放射能汚染に神経質になっているため、日本の原発事故発生で原発安全神話は崩壊、世界各国で原発建設凍結ともなれば人類全体、地球規模で考えた場合、日本の失敗が良薬になったことになる。
記事URL | 日記 | トラックバック(0) | コメント(-) | 【21:02】

3月残るクラブランも中止。

2011.03.17
大地震によって引き起こされた原発事故、終息に向かうか終焉となるか大変な事態になってしまった。電力不足から輪番制停電で急場しのぎ、この先日本列島どうなるか全く読めない状況になってしまった。こんな状況下でクラブランなど楽しむは不謹慎かと思い今月中のクラブランはすべて中止とします。

とはいっても家の中にこもっていても気が滅入るだけ、英気養うため個人的にサイクリングは大賛成、自主走行で活を入れることも大事なこと、不撓不屈の精神を鍛えることが窮地を救う最善策。

停電中に用事あって街中ミニベロで走った、辛うじて電気制御された信号の交差点、警官が交通整理している交差点、完全消灯下運転手の安全判断にすべて頼るタイプの三種あるを知った。車の数が極端に少ないのは、燃料が思うように入手できないため、物流も思うに任せずスーパー、コンビの食料品も乏しく皆さん苦労している様子。

でも、俺っち小学生の頃体験した食糧難は更にひどかった。幾ら待っても食料は手に入らず、どこからも救いの手は無かったが大人たちはがんばりぬいた、戦争という狂気の時代はそれは凄まじかった。今は違う、待てば物資は届くし、世界から援助の手が差伸べられている。

敗戦から脅威の復興発展を成し遂げた、親達が持っていた大和魂、一億一心の同胞を思いやる心を忘れてはいけない、日本人こそアジアの盟主であることをアジア諸国だけでなく、世界に知ってもらうチャンスと、とらえ耐えてがんばリ抜き復活することを新日本人諸君に期待している。

小さな発電所を屋根の上に持ち、我が家の節電を考え電球をすべてLEDにチェンジ、新しい店舗もLED照明の節電設計で対応しているので、俺っちに言わせてほしい、原発安全は神話でしかない、人類に制御できないので凍結が賢明。
記事URL | 日記 | トラックバック(0) | コメント(-) | 【22:44】

俺っち 太平洋岸北上ラン計画も来年に延期。

2011.03.12
文明の利器持てど連絡不能状態で心配してた益田支部の大事な仲間、夜になって益田支部の親分から全員無事で広島空港に到着、陸路益田市に向かっているからご安心下されと、携帯に連絡あってホッとした。せっかく島根県から遠路参上も、出会うこともできず帰郷はさぞ残念だったかと思う、待ってってな暖かくなったらすぐ飛んで行くわ。

今回は大地震のあとに大津波、更に原発事故と連鎖し一難差ってまた一難、最悪の事態になってしまった。今夏太平洋岸側を九州から、北海道まで北上する俺っち走るコース東北部分、すべて災害受けてしまったではないか。夏までに日時も無く復旧難しそう、となるとこれは止めろということかと判断、来年夏77歳記念に走ればと1年間の余裕を与えられたと判断、今夏計画を延期することに決め、壁に貼り付けたカウントダウン数字114を取り去った。

1年後に計画を延期したということは、老齢で年々負荷大きくなるのが実感させられるので、どうしたら体力維持できるのかが問題。神さんは、あんたなら80歳ぐらいまでなら、変わらず走れるでしょうって、簡単に考えてるようだが現実はそんな簡単ではない。まあ、よたよた走るんなら何の心配もないが、その気で走ったら200km/日走れる脚力が俺っち目標ハードルが高いのよ。

ひどい花粉症から逃げるためと、自主トレ鍛錬で24日(木)~29日(火)まで、沖縄で独りトレーニングを決めた。自分自身を鍛え直し来年も走り続ける自信をつけてくるわ。
記事URL | 日記 | トラックバック(0) | コメント(-) | 【22:32】

3/12~3/13 本日、明日ともにクラブラン中止です。

2011.03.12
昨日のこと、益田市の仲間から夕方5時頃神宮店へ向かうと連絡受け、都心に向かい家を出ようとしたら突然の大地震。これまで体験したことの無い大揺れ、PC前作業中だったが長いゆれが続くので、柱時計秒針眺め1分過ぎてもゆれは続いており、地震の揺れは数十秒の常識は嘘と知った。窓外を見ると電柱から各家庭への引込み線が、縄跳びの縄のように跳ね動きゆれの凄まじさ確認。

直前の時間に羽田空港に到着したはずの仲間達と連絡取れず状況不明、遠く本部益田市に連絡も伝言送信できたはかなり後、留守碌着信も音声耳にできたのは深夜になってから、とりあえず安全な場所に退避できていることを確認。それ以上の情報は届いてない様子、今朝になっても相手との交信は不能、まずは無事であることだけ確認できている事をお伝えしておきます。

本日大会は当然中止のはずで応援E亀ランも中止。遊びで皆が揃って走れる状況下でなく、本明日のクラブランは中止とします。

立川店は若干の被害受けたが神宮店は無事でした。営業は本日両店とも通常どうり行います。
記事URL | 日記 | トラックバック(0) | コメント(-) | 【09:55】

3/10~11 昨日と今日と明日。

2011.03.11
明日行われる全国消防本部対抗駅伝参加で島根県益田市の消防署チーム、選手団にはクラブ支部員3名も含まれ午後上京、夕方神宮店に表敬訪問で來処の連絡あり、近くで夕食談合を考えております、時間折り合える方居りましたら、一緒しましょう。5時頃から6時頃まで店内ガーデンで待ちます。

明日は現地皇居前に大会応援サイクリングで向かいます、おすすめ昼食処等ありましたら田舎老体ヒデ爺にアドバイス下されたし。即席歓迎会としましょう

昨日は千葉まで自転車の会議で電車で向かい、花粉症でしょぼい顔して帰宅、今日も同じくになるはず、明日もと連日続きそうで、思うよう走ることでずについに沖縄に退避を決めました。

24日から29日までと期間短いのは、月末は経理事務作業あるので現役中は責任あるのでなあ…

柑橘類のエキスがスギ花粉症に効くというCM、ウエブで目にし溺れる者はなんとやらで早速購入、昨日から神と二人で飲み始めた、毎晩顔見合わせて近親者に不幸があったような顔だね、と情けない顔で慰めあってるが俺っち約1週間、神さん約2週間本土を離れるのでその間だけは救われる。
記事URL | 日記 | トラックバック(0) | コメント(-) | 【13:28】

次回3/12 土曜Eランのお知らせ。

2011.03.07
次回土曜Eラン3/12は立川CS9時スタートです。

行き先は皇居前桜田門、討ち入りじゃなく応援に向かいます。

Eラン走行コースは多摩サイ下の道路を関戸橋北~是政橋~多摩川原橋~狛江市役所~世田谷道路~三軒茶屋~国道246~渋谷駅~六本木通り~桜田門。
昼食場所は都内クラブ員のご案内期待しておりますのでよろしく。
いつもとは全く逆に都心へ向かって走りますので、コース途中から合流または直接現地へ向かっても結構です。

皇居前周回で当日第22回の全国消防本部対抗駅伝大会が開催され、益田市のクラブ支部員が益田消防所チーム員で参加しています。春の益田クラブ訪問ツアーに先駆け初対面、親睦交流の第一歩と考えております。

参加者にポイントチップ1枚を大会終了後現地で差し上げます。今年作成する新ジャージと交換しますのでためて下さい。

記事URL | 日記 | トラックバック(0) | コメント(-) | 【10:17】

3/5~3/6 40人が楽しんだ伊豆宇佐美ラン。

2011.03.06
土日で伊豆宇佐美まで民宿貸切一泊の往復ロングラン、今回はクラブ員企画ツアーで神さま同伴での誘い受け、神さま電車で行って見ますわと了承、昨夏以来俺っち神さま大変貌有難いこっちゃ。

沖縄から戻り春近し感じたので7分ニッカ、薄手長袖の薄着で出発したがこの選択最悪になり、残雪残る箱根路に入ると寒さにふるえた、更に熱海峠の急坂下りでカーボンホイール焦げ臭くなるわ、大和撫子が突然巴御前に変身したのには肝冷やし、震えながらの宿入りだった。

バストイレもない部屋で、ガーゼのような薄手の手ぬぐい1本では、着替えも待たず洗って乾かす俺っち旅は通用しないことを知り、着の身着のまま2日間となってしまったがこれも体験して初めて分かること。マッサージも連絡不能で頼めず残念だったが、神が居るからまあいいさ、飲兵衛連の楽しげな語らい子守唄に早い時間から眠りに落ちた。

翌日は朝の目覚め早く朝食を食べ宿を出る、小田原城で『うな弁』昼食の段取りも、近すぎるので時間調整で真鶴から旧道に入りみかん直売所で小休止、小田原城へ11時半俺っち班がラスト到着、手回し抜群先着連は食事も終了で早いのにびっくら。

食後国道1号、二宮からはうな和ランで走り慣れたコース、熱海辺からスギ花粉どっさり浴び鼻だけでなく、目も刺激されなみだ目になり意識集中できず、先頭誘導を河に変わってもらい最後尾に下がる。小田厚側道に入ると最悪チンタラランになり、皆の姿視界から完全に消える、コンビニで待っててくれた一行に家路に直行を告げ、田圃から昭和橋渡り田名遺跡公園で洗顔、隣のスーパーで目薬買って洗い流し点眼。

やや人心地ついた状態になり走り出すや、突然ロードに追い抜かれたので追走楽しみ、上大島右折で離脱となったが気合入り以後力走で帰宅できラッキーだった。家に到着するやすぐ着衣全部を洗濯機に放り込み、シャーワー浴び〒物整理で約1時間経過したら楽になる。今回の企画参加者全員楽しんだようで、企画立案の僕殿、関白姫にはお疲れ様でした、次も頼むわ。参加者全員にポイント1。
記事URL | 日記 | トラックバック(0) | コメント(-) | 【21:56】

3/2 朝日カルチャーセンターで講師体験。

2011.03.03
昨日の晩方、朝日カルチャーセンターで行われた自転車講座、講師を頼まれていたので5時半会場到着目やすに新宿へ向かう。誰でもできる輪行のやりかたを、メインテーマと考えていたので愛車の自走、場所によったは小雨降っているというラジオ情報あり、もしや雨になったら輪行すればよしと普段着で家出たが、カーボンサドルが尻に痛く、とても40kmは走れそうもなく家に戻り、スキーパンツの下にビブショーツ着込む。

ジャージに身を固めたいつものスタイルとちがい、その辺走る街乗りスタイルなのでノーヘル、花粉症グラス掛け幹線道路避け調布までは多摩サイ、その後は街中路面右に左に走りぬけ国領から、甲州街道へ出て都心を新宿へ向かう。

久しぶり下高井戸標識見る、ここからEランに参加し帰りに野菜買い背負って帰る松関女将がふと脳裏に浮かび、街のり爺さんには下高井戸はめちゃ遠かったので、男勝りの女傑ぶりに改めて感心しちゃったよ。本日神不在で家を出たので、腹へって初台弁当屋で遅い昼食は5時だった。

ほぼ満席40人の皆さんに得意技の簡単輪行法伝授、あまりの簡単さに出席皆さんにびっくりした様子に満足。親しい専門業者に遠慮し封印、これまで未公開だったが我が心の中を解禁したので、これからはヒデ爺秘伝輪行法として公開、多くのサイクリストに簡単に輪行してもらう事で、サイクリングの楽しさを更に深めて欲しい思い。

21時過ぎての中央線の平日輪行は、仕事帰りの通勤客で車内混雑するので遠慮、講演終了後は寒いが自走で家路に向かう。帰りは甲州街道一直線、後方から次々ロード車に追い抜かれ、はてこんな時間にどうして?リック背中にどうやら仕事帰りのジテ通族、スキーパンツのウオーキングシューズ、踏み足オンリーのポタリングスタイル忘れ追走開始、遠く離れた先頭まで追いつき、信号待ちで追い抜かれ急追バトル開始、いつしか右に左にあいて消え去り一人旅、分岐路は旧道に入り過ぎし昔、スケート靴を荷台にくくりつけ軽快車で新宿まで往復した数回の体験思い出し、往復80キロを変速機もない普通自転車で走った若い頃、俺っち自転車に熱中した原点はもしやここにあったのかもと再確認。

こんど皆にこの辺の話も伝えたいなと思ったので次の機会にな・・
記事URL | 日記 | トラックバック(0) | コメント(-) | 【11:23】
カテゴリー
最近の記事
過去ログ