心配無用じゃ爺は健在。

2006.11.27
静かだから死んじゃったのかって、馬鹿言うんじゃあないでえ、減らず口たたいて内弁慶してるわい。でもなあ、体脂肪一桁は寒くて敵わんでえ、この間もなあ爺、姫、姉姫、大殿で鶴ヶ城じゃあ無い、鶴ヶ島へ鳥弁(登利平)食べに出かけたが、十時半集合の晴天にだまされ、うかつにも普段着で向かったら寒い事この上なし。完全冬支度の面々に笑われ、冷えるので皆を待たせては厠じゃ、歳はとりたくないものよのう…

家老と酔いどれ侍はアンバランスに騙され、早駕籠乗って琵琶湖から裏日本走る旅だと、生憎天気も悪く寒さも加わったので往生したのではと心配だわ。年取るとどうも寒さが身に沁みていけねえわ。それにしてもアンバランスの企画には、耐寒ツアーが多いが年寄りを殺す気かよ。

日曜日お日様機嫌悪く顔見せず、そのうちポツリと涙雨濡れたら寒いで遠くに行けず、寺田のまんじゅう食べて尾根幹走り東公園で解散。帰りに絹ヶ丘の氷見売店で好物『ますの寿司』買って帰り、家到着と同時に鍵開けるもレーサーシューズ脱ぐ時間無く、靴のままトイレに駆け込むも、老いぼれ消防隊間に合わず、初期放水開始でタイツ濡らす不始末。

洗濯し部屋に干したら帰宅した神さんそれ見て、あれ、もう洗ったの?『オシッコ漏らしたんでしょう』って、あんた見てたのかい。

今月は第44期の期末決算月で何かと忙しく、年末年始で遊ぶための時間つくりで只今集中作業の帳簿整理真っ最中。仕事、仕事、仕事だい、ブログなんか書く暇あるわけないわい。

大殿も遊んでばかりいるんじゃないぞ、いや他人のことはあれこれ言うなって、そうじゃなあ年とるとお節介であかんな。
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昔が出てきたホイサッサ。

2006.11.21
部屋を整頓していたら旧いクラブの記録帳が目にとまり、何気なく眺めたら約20年ほど以前正確には1987年のデーターが記載されていたので、興味ぶかい箇所抜粋じゃ…‥

まず当時恒例だった元旦レース、場所は立川中央公園道路周回100km。24名が参加し優勝小菅で家老、監督、島貫、石郷岡、加瀬に藤野の名前もある。

2月には花蓮までのツール・ド・台湾に藤野、家老、岡タク、宮ポチと俺っちで参加走っている。

4月に神流湖往復206km7時間51分22名参加完走者14名で監督、市毛、長峯、藤野の名前も。同じく29日山中湖、三国峠、明神峠246で173km7時間。監督、長峯、加瀬、藤野等完走11名淳、小殿等4名は途中戻り。

6月篭坂、道志ラン176km6時間42分。26名参加全員完走。

9月13日秩父、長瀞ラン172km5時間44分。35名参加完走24名の完走者に市毛、淳、監督、藤野の名があり、正丸峠で戻り組に家老、小殿、山伏、社長夫人と俺っち娘も居るわい。
同じく20日神流湖往路92kmを2時間48分、帰路を2時間51分とは速かったなあ。18名参加で監督、淳、藤野の名も。
この3日後の23日が圧巻、甲府まで輪行して韮崎、野辺山、佐久から内山峠越えて下仁田、富岡、児玉、寄居、小川町、飯能と走り抜け自宅まで242km8時間33分。22名参加監督、島貫、社長の名あり全員完走。誠三監督がよく走っているのには改めて感心。

で10月4日ツール・ド・ジャパン最終戦千葉ステージのチャンピオンクラス90km、実測メーター92km2時間13分で俺っちの優勝と続くわけ。このとき年齢満52歳で優勝宣言しての勝利で、目標達成しクラブ員からの祝福に気分爽快だった。

この年走行距離は10月末でたった9400kmなのに、今年は10月末で15600kmも走ってたものを自分のポカで皆を落胆させてスマンなあ。

結論はもう1年、続けてがんばれと啓示されたと理解し出直すつもりなので、今度は皆で沖縄を楽しもうよ。

当時の愛車は価格約23万円。

ヤマクニ製 7000番台 ティグ溶接アルミフレーム 480mm。パーツはバー&ステムは日東。ブレーキレバーDA、アーチSPB、
Wレバーマビック、F&RメカDA、ペダルDA、サドルイスカトルネード。
クランクSPB167.5mm、53×38、フリーカンパ軽合6S12.14.15.16.17.21、チェンセデスポーツ。
ハブSPB、リムマビックSSC32h、タイヤFクレメンカンピオニシモ、RビットリアパベェCG。
メーターシクロマスター。

誕生3周年に向いEeeランが変わります。

2006.11.20
Eeeランもお蔭様で大好評で3年目に入り、何とこの1年間で120名余の新会員が加わり、Eee班だけで200名を超える大集団になった。そこでこれを機会に脚力分けで3班に別れ、同じ場所に向かったこれまでのEeeランを変更します。

レースも体験してみたい、より速く走りたい意欲がある向きはこれまで同様つる班、うさぎ班、かめ班に別れ秋山街道を練習場所に走ります。こちらレースに必要な知識、走り方を少しずつ覚えてもらえるようしてゆきたいと考えています。脚力上位、レース体験者はリーダー家老のつる班に参加、低脚力レース未経験者は会長のかめ班に参加下さい。員数多い場合はつる班下位とかめ班上位者でうさぎ班を結成、誰か即席任意リーダーになって誘導してほしい。

レースには興味ない、のんびりと走りたい向きにはポタリング班を新設、勇社長が先導で毎週違う目的地に向かいます。また参加者の希望または案内も歓迎、こちら毎週物見遊山メインに違う場所に向かい、眺める、食べる、駄弁るが主目的になるかも。

参加者は当日の気分、体調等でどの班に参加されるも自由ですが、最後尾に伴走が付くこれまでのスタイルではなく、遅れた者は自力で目的地に向かう、または断念して自力で戻ることになります。これまでのような過保護的な走りは終了とし、各自が自己責任で対処を原則とします。

自家発電所の恩恵。

2006.11.18
東京電力から国内最小発電所の一つとして認可された、鳴嶋英雄太陽光発電所が昨年11月に発電開始し本日で満1年間経過した。

 この1年間我が家の
 消費電力量 5.378KWh
 発電電力量 2.450KWh
 売り電力量 1.228KWh
 買い電力量 4.156KWh
 CO2削減量 441Kg-c
以上液晶パネルが表示のデーター。

441kg-cがどの程度のものなのか知らんが、地球環境保護に微力でも寄与できたのでまあいいか。屋根の面積が広ければもっと発電できるのだが、縦長建物では何ともならんわな。

シャープさんには好評亀山工場製液晶パネルと同じように、より高効率の発電用パネル開発もお願いしますわ。低価格で高能率の商品開発によって、爆発的に個人発電所が増加し地球環境改善に役立つ日本国。

大和民族の英知が世界を動かす、そういう時代が来るはずと俺っちは確信している。

リタイヤじゃないぜ、仕事もやってんだ。

2006.11.16
何やってんの~って心配してた?仕事だよ仕事。レースで惨敗したんじゃあ、もう仕事するきゃあねえべって…

わが社担当の税理士殿、ほんと間がわり~い奴でよく旅行中に電話してくる、今回も空港へ向かって走っている時だぜ『今どこにいるの会社?』『沖縄だよ』の返事に『ごめんごめん』だって、そうだ先月分の帳簿だよな帰ったらやらにゃあ…で、二日間能率上がらない作業続けてたわけよ。

愛車を輪行袋の中にそのまんま、今日気づいてとりあえず袋から出した。後輪装着大丈夫かって、アホか俺っち輪行袋は後輪外さないタイプだわ。

俺っち神さん喘息発作で咳き込みながら、好きな道『鎌倉詣での風の又三郎』電車の中で咳が出るから困る、『往くなって知らせてくれてるんじゃないの』と俺っち、『いやいや、そんな事は無い往かねば』と妄信、素直だった神さんも今は天邪鬼、かん言に耳かさず。信ずる者は救われる、互いに夢中になれるものがあるのは、俺っちとしては好都合ではあるが、体調不良だけは困るんだわな。

疲れたので夜になり時間外マッサージ申込み、院長との会話で『いい歳して競走はもう止めなさい』とわが心が伝えたのかと思うと言えば、いや『来年もう一度挑戦しなさいって言う事ですよ』70歳超えてこんな張りのある筋肉の持ち主は居ません、年寄は皆ぷにょぷにょ筋肉ですよ、また1年がんばって走り続けなさいって言う事ですよ、勿体無いですよまた挑戦して下さい。楽しみにしていますよだって。

神さんがわが道続ける限り俺っちもやるか、まあ今回だけはすぐ結論出さず、も少し走ってから考えようと思っている。

大殿どうする。二人でやるか『男にしてやるぜ』俺っち自分が勝つより、人を勝たせるほうが実は得意なのよ。

沖縄こぼれ話。

2006.11.15
ホテル前の坂道ゆっくり走行中出会った学校帰りの小学中学年生二人組、一人が自販機ボタン叩きまくり、残る一人が鉄棒振りかざすを目撃『こらあ、何やってるんだ止めろ』と大声で怒鳴ると、俺っち顔見て意外にも『はい、わかりました』と素直。いやあ悪ガキだが素直でよろしい。

次は会場近くででドリンク終えた時、キックボート乗ってやって来た小学低学年生二人組、自販機前に寝転ぶや床下探索、他の一人はつり銭ポケットあさり、見事なチームプレー?見て、遠い昔ガキの頃似たような経験あるわなと頬緩む。『飲みたいのか』と声かけると二人して『うん』、銭入れて好きな物選ばせると、大喜びで『ありがとう』と頭を下げる。走り去る俺っちに後から再度『ありがとう』の大声あり。たくましく育って、沖縄社会に貢献しろよ。

帰りの機内3人掛けシート通路側に座ってると、後から来た隣席の中年夫婦、俺っちが立ち上がって座り易く協力したのに無言とはなぁ。この二人機内サービスのドリンクにも無言のまま、『ありがとう』『すいません』の言葉が出ないお二人さん、貧しい人生に限りない哀れさを感じた。

ラストに一言、俺っちが雑魚集団の先頭走行中、合図もしてないのに交代してきた若いのに感心も、クランク十回転もせぬうち交代合図は何じゃ、あれじゃただじゃまになるだけで先頭走る資格は無いわ、昔の俺っちだったら邪魔者は路肩に飛ばしてたな。

深夜帰宅輪行袋の愛車に『ごめんな』と謝ったが、思えばず~と俺っち支えてくれた、もの言わぬわが分身にそっと涙した。俺っち思い通りに走ってくれるこ奴には本当に感謝してる。
『ありがとう』もう一度『ありがとう』

沖縄からのラストレポート。

2006.11.14
色々体験した沖縄ツアーも本日が最終日、年末沖縄で久しぶりのんびり過ごすプラン決めたので、今晩帰京します。

ロー側変速ギヤ3~4段にチェン乗らず、まさかのピンチ迎えた与那から安田の長い登坂、自社スタッフの整備直後、しかも昨日実戦モードのスピード走行にも問題なく反応、これは整備不良ではなく変速機故障と判断。停車して調べるも悲しいかな修理整備苦手の俺っちに対処できず。

使えるギヤだけで時間内完走目標に切り替え、走りながら考えた無神論の心のささやきは、いい歳して人と争うのはよしなさいの啓示。昨年このレース走ってオーバータイム失格、もうツールド沖縄は最後にしようと心に決めたはず。懲りずに挑戦罰が当たったかなと思うも、別な心が意地でも完走してやるわで心の葛藤。

今回のトラブルで何よりもありがたかったのは、レース終了後皆の前で自転車調べてもらい、誰の所為でもなく全て自分の責任とその場でわかった事、これがベストの結末だったと確信。

走るだけが命、全くめげてないのでまた1からもあるが、決断、転身ころころ変えて神さんから『ころちゃん』なんて呼ばれているので、来年どうするかは、期待していた皆さんに申し訳ない気持ちも残り、ここは俺っち人生初めての熟慮で対処しようかと珍しく慎重よ。

Eeeラン皆さんにお願い~見捨てないでなこのわがまま爺さんを…

沖縄から朗報。

2006.11.13
スタートして10km少し先、西海岸から東海岸への横断路、コース最大の難所与那~安田間の登坂道へ進入するや、ディレーラーの具合が?軽いギヤに入らないではないか。はてな昨日実戦モードで力走も、全く支障なかったのにどうして、重いギヤ比のまま走り続けると番手は次第に後方、足の負荷も大きく再度試みるとガチャガチャ音がするだけで歯とび空転でどうにもならず。停車して調べるもわからず、変速機が壊れたのかなあ…

自転車業に転業して三十数年経過も売るのは好かん、直すのは嫌い、走るのだけ大好き、メカ調整はすべて社員任せ、今回も点検調整する気もなく、そのまま参加する気でいたのに心優しい娘の亭主が整備。下北半島でFメカ破損、沖縄でRメカかよ、佐渡で『クツワムシ』背負った状態で走り、沖縄では足元『クツワムシ』こりゃあ参ったなあ。

打たれ強くめげない性格は『優勝』の二文字を『完走』に切り替え、昨年赤旗掲示で失格させられた、最終関門『源河』時間内通過に全力集中。こぼれた選手相手にEeeランバトルの繰り返し、クラブ員多数が混じる200km組集団に追尾したりで低速登坂の埋め合わせ、源河への最後の難関に差し掛かるや知らない地元の人から名入り看板で大声援受け???神さん達が屯す指定応援場所を越えると、ミュージシャンJJの叱咤激励も哀れな姿でご免チャイ。

無事に関門通過してゴールまでの十数キロ、精根尽き果て遠いゴールめざし緩走中、バトル繰り返した大柄選手の声、ラッキーと後方張り付きそのままフィニッシュ。

選手登録して半世紀、こんなに練習した年は無いほど走り込んでの優勝宣言も、終わってみたら砂上の楼閣となってしまった。期待していた多くのクラブ員には申し訳ないが、俺っち自身は、勝負事ってこんなものよと、全く気楽なのでご安心を。

レース終了後居合わせた社員に点検させたら、何とまあ車輪が真直ぐ装着されてなかっただけだと、カンパメカよごめん。悪いのは全て俺っち、誰のせいでもなく自己責任となれば、目出度しめでたしの結末でよかった。目出度い爺さんの顔見たら、おめでとうと一言言って下され。

帰京したら今度は気楽に走るでえ。憎まれ爺さんからアイドルに変身なんちゃって…人生は楽しい忍者は強か。

沖縄からの続報。

2006.11.10
昨9日(木曜)は那覇から沖縄市にホテルを移動、まずはホテルに向かい背中の荷物を預け、身軽になって名古屋からの若隠居出迎えに空港へ向かう。キッズショップで待ち合わせ、昼飯食べるつもりで道路に出たら食堂前で、全島一周サイクリング参加で到着直後の立川店顧客グループとばったり。話盛り上がって、まずは一緒に腹ごしらえで時間を忘れる。

台風時期はとうに過ぎたが、この時期になると今度は知人友人の洪水。

時間に余裕無く南部観光ラン楽しむ事ならず、姫ゆりの塔、平和記念公園に駐輪しただけで、単調に国道を走りぬけただけで、与那原から沖縄市のビックホテルへ日没ほぼ同時に到着。

一夜明けた金曜日、これまでの疲れを癒すべくホテル近辺をソロラン。名護方面へ一人旅で出かけた若隠居、突然目の具合悪くなり逆方向の病院へ、ほんとに年取ると明日がわからんわい。夕方まで病院で各種検査受け、加齢が原因で発症する病と判定され、まあ無理せず安静が最善とかで宿へ逆戻りよ。なにも心配なく遊べるは最高の幸せだな。

日本最南端の道の駅『かでな』前から、広大な嘉手納基地を眺める。日本国民の税金で大名生活の米兵、任務は自国米国の安全を守るための駐留では、ちょっと虫が良すぎるのでない。沖縄全土が米国の最前線基地化され、物言えぬ従順な犬に化した大和民族は情けないことよのう。何故か本日基地内物静かで動き皆無、物見台に張りつきの写真屋も双眼鏡貸しも居らず、一見では平和そのものだったなあ。

神さん達が宿泊する、うるま市のホテルに立ち寄ってカラバッチョをヘルメットに交換、これでレースモードにスイッチがOnになったかなあ?

沖縄からヤッホー。

2006.11.08
沖縄からの更新。俺っちもやるなあ、とまた自慢。離陸前に一眠りしてしまい、どの辺飛んでいるのか外眺めたら、まだ地上で滑走路に移動中だぜ。俺っちつくづく、おめでたい男よと自分に感心したな。
白髪頭が疲れて居眠り見たスチュワーデス、『もしよろしかったら、一つ後ろの席に移動されて結構ですよ』見ると中央一列4席が空席、移動させてもらうと、肘掛上げて横になってお休みになっても構いませんよって、ここでは俺っちも只の老体扱い。そうだよなあ、傍目には爺様そのもの、まさかこ奴が80kmレースの優勝狙っているキ印爺とは夢にも思ってないはず。

最初のうち札幌便からの乗り継ぎ乗客2名待ちアナウンス耳にしたが、その後上空気流悪いので待機になり、大幅遅れの出発だったようで当然到着もドンと遅れ、途中キッズ大城に立ち寄り宿に向かったら夕方6時を回り真っ暗の到着。

一夜明けて本日、今度は走りなれた国道58号線を北上、恩納村からうるま市へ向かいサイクルプラザ池原へ、連絡したのでミセスK嬢も駆けつけつい話し込み、嘉手納基地脇を通り58号線へ出て往路と逆コースで宿に戻るも、悪名高い浦添の夕方ラッシュは相変わらず凄まじい。2日続きの真っ暗になっての宿帰り。

東京は急に寒くなったって聞くが、いまの沖縄は最高気持ちい~ぜ。明日は若隠居が名古屋便で到着、合流して南部観光しながら沖縄市のホテルに移動予定。そういえば神さんも明日来るはずだわ。

この道一筋。

2006.11.06
いやあ昨日は忙しい日で、ブログ書く時間も無かった。

Eeeランを楽しんでいる会員をインタビューしたいと云う、タウン紙記者からの突然電話があり、それが30年ほど前俺っちを取材した同じ記者。男性なら仕事一生で驚かないが、女性記者だったのでこの道一筋には感動。俺っちも自転車遊び一筋50年は半世紀だぜ、凄いだろうとついでに自慢。

メンバー集合前に終了したいので、1時間前の9時で約束、該当適任者として後方見回り役遠藤、三井を推薦、普段より早起きして現場へ向かう。

一段落した後は定番雛鶴峠へいつものサイクリング。帰路小原郷で出会った立川A班先頭数名に追尾、大垂水峠挑戦も2km過ぎた地点で心肺いっぱい付バテ、回復待ちながらの追走も次第に差は広がり、終に視界から消えてしまったが、千切れた後も失速する事無く、アウターギヤのまま走れた事は、沖縄80kmへの手ごたえ充分と納得。

サイクルショウで上京中の沖縄同業者からのアポで、クラブラン終了後神宮店へ向かい、忙しく立ち働くファミリーの姿久しぶりに眺める。多くの贔屓さんが足運んでくれるのも、ファミリー社員あってのこと有難いですわ。自らも走り沖縄最大のクラブ運営者同業の盟友が、俺っち仕事参考に努力している姿思うと、出来る限りの応援をしてあげたいとと思うが人情。

話し終わって新宿で電車に乗ったが23時だと、家に到着は午前様だよ。本日の仕事すべて片付け風呂入り、寝床へ2時半とは俺っちもタフだよな。

体重55.4kg。 体脂肪6.9%。 内臓脂肪1%。 基礎代謝1365Kcal/日。

11月3日 Eeeラン発足2周年記念日。

2006.11.03
Eeeラン誕生2周年記念日。2年前の本日僅か10名でスタートした小さな集まりが、今や200名を超える員数の全国一の大きなサイクリングクラブに育ち、更に毎月二桁の入門者には嬉しい悲鳴。

独りではとても走れないと思う長い距離でも、皆で走れば楽しく走れることを実感させ、店のイベント信州松本まで往復360kmを完走させる事が最初の課題だった。課題は皆の熱意で簡単に達成出来た、次なる目標は競技大会に参加ウイナーになること、来年6月目標達成に向け皆で楽しみながらがんばろうぜ。

毎回同じ場所を走らせる反復稽古、同じことの繰り返しでは飽きるかと思うが、これからも安全性の高い秋山道コースで走り続ける予定。忍法道場次なる課題は技術の習得。

俺っち独りではこうは上手く事は運ばなかったはず、重鎮家老の存在が実に大きい。サラリーマンが定年退職するとやる事無く、やる事無いと活力失い老化の道をまっしぐらが常道、俺っちコンビは歳を忘れ気力充満やる事ある幸せに感謝。3周年は山伏も仲間入り忍法道場ますます奥が深くなる。人生命尽きるまで修練あるのみ、若い者には負けられん。

自転車万歳。皆に感謝。3周年に向けまた遊びまくるつもり覚悟あれ。
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